余命幾許も無し

祖母の容態が悪化したらしい。
今夜が峠・・・というか今夜で終わりだろう。と。



俺は子供のときは祖父母によく可愛がってもらった・・・
保育所時代、鞄をほっぽりだして遊びに出かけた俺の弁当箱を出して洗ってくれてたのもばあちゃんだし、
いや、残念ながらもう覚えていないが、面倒くさいと思うことを全てばあちゃんに甘えて任せていた。


そんな祖母が倒れたのは俺が保育所の年長さんの時だった。
脳梗塞と言う病気らしい。
そして祖母は歩けなくなり、車椅子生活になった。(この頃はリハビリに励んでいた。


その病気は治って、老人養護施設に入ることになった。何度もお見舞いに行ったことを覚えている。
この頃は、歩けないだけで、普通に会話が出来た。笑い上戸な人だったから、(多分、孫が来てくれて嬉しいのだろう。と父が言っていた。)
覚束ないながらも、言葉のキャッチボールはできた。
盆や正月、ゴールデンウィークなどの休みが続くときは何度も家に泊まりに来ていた。
ばあちゃんの介護ベットの横に布団を敷いて寝た記憶がある。この時は小学生だった。


一度、弟と二人で自転車で会いに行ったことがある。(それなりに長い道のりだった。
とても、とても喜んでくれた。
お小遣いまで持たせようとしてくれたが、断った。小遣い目当てで行ったのだと思われたくなかった。


でも、今思い出すと、ばあちゃんは俺にお小遣いをくれることくらいしか出来なかっただろう。
だが拒否された。もしかしたらショックだったかもしれない。そう考えると、貰っておいたほうが良かったと、今なら思う。


そして、中学生、高校生、ニートと、歳を経る毎にお見舞いに行く回数は減り、
おばあちゃんを思い出す機会も減っていった。




調子が悪くなったのはここ約一年程の事である。
肺に水が貯まった、とかで入院し、そこで肺に癌が発見された。
(癌治療をしたのか、しなかったのか。或いは手の施しようが無かったのかは知らされていない。)
それから祖母はどんどん小さくなった。時折家に来て(介護タクシーで)昼飯と晩飯を食って帰るのだが、
その度に、小さく、痩せていく祖母を見るのはとても辛かった。






そして、今に至る。。


正直言って、俺はばあちゃんのことを殆ど知らない。
どんな人だったかも、会話すらも、知らない。孝行の一つも出来なかった、、、、と思う。





ただ、俺が挙げた功績唯一の功績は
今年の夏に家族写真を撮ったことである。(もち7Dで
(完成度は、フレーミングが怪しいのだけども)
まぁそれも愛嬌。全員写ってるし、俺も素人だし。







本当なら、俺もばあちゃんのところに行きたかったのだけれども、
睡眠薬と鬱薬でへべれけだし、自宅待機を命ぜられた。


でももし、行ったことを考えると、それでよかったのかもしれない。
間違いなく、鬱になるのだから。